天地開闢とはなにか---『古事記』にみる創世神話の構造

天地開闢とは、日本神話における世界の始まりを示す物語である。

本記事では『古事記』の記述をもとに、その構造と研究史を整理する。

天地開闢とは何か?

「天地開闢」という言葉は、文字通りには天地が開け分かれることを意味する。日本神話においては、世界が秩序を持ち始める最初の段階を示す概念である。

『古事記』では、天地が初めて開けたとき、高天原に最初の神が「成った」と記される。この「成る」という表現は、創造というよりも自然発生的な生成を思わせる点で興味深い。

ここで重要なのは、「成る」という表現が、外部の主体による創造を想定していない点である。天地は誰かによって作られたのではなく、ある過程の中で自ずから成立したものとして描かれている。この生成的な発想は、日本神話の世界観を理解する上で重要な手がかりとなる。

「天地開闢」という言葉は、文字通りには天地が開け分かれることを意味する。日本神話においては、世界が秩序を持ち始める最初の段階を示す概念である。

これは単なる世界の始まりの説明ではなく、後に続く神々の系譜全体の前提となる場面である。

『古事記』における天地開闢の記述

『古事記』冒頭では、天地が初めて開けたときに最初の神が成ったと記される

ここで用いられる「成る」という表現は、何者かが創造したというよりも、自然に生成したことを示唆している。

これは、日本神話の始まりが英雄の活躍を描く物語ではなく、世界がいかに成立したかを示す枠組みとして提示されていることを意味する。天地の分化と神の生成という構造は、世界の起源を説明する思想的枠組み、すなわち一種の宇宙論として理解することができる。

神世七代との関係

天地開闢から神世七代への流れを整理すると、以下のような構造になる。

日本神話における天地開闢から神世七代への構造図

図から分かるように、天地開闢の段階では具体的な人格神はまだ現れず、独神という抽象的存在が中心となっている。

天地開闢の段階では、まだ具体的な人格神は登場しない。

最初に現れる神々は、いずれも姿を持たない独神であり、具体的な物語的行為を伴わない存在として描かれている。

これは、日本神話の始まりが英雄譚ではなく、抽象的な宇宙論から出発していることを示している。

このように、天地開闢から神世七代への移行は、抽象的な存在から具体的な神格への段階的展開として理解できる。

まとめ

天地開闢は、日本神話における単なる世界の始まりではなく、抽象的な宇宙論から具体的な神格へと展開していく起点である。『古事記』においては、「成る」という表現や独神の存在が、その思想的特徴をよく示している。こうした構造を踏まえることで、神世七代やイザナギ・イザナミの物語も、より体系的に理解することができるだろう。

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