古事記の成立と構造
『古事記』と『日本書記』は日本最古の歴史書としばしば呼ばれる。
いずれも奈良時代初期に成立したことから、併せて『記紀』とも呼ばれるが、上巻・中巻・下巻からなる『古事記』はその前半は、日本列島の神々の事績を伝えており、厳密に「歴史書」とは言い難い性質を持っていると言えるだろう。
『古事記』の成立については、本文に付された「序」に詳しく書かれているが、この「序」は「偽造されているものではないか?」とする説も根強い。
古事記の成立(序)の偽造?
律令国家樹立を目指し、中央集権化を推し進める天武天皇の治世において、天皇家の系譜を記した「帝紀」、朝廷の伝承を記した「旧辞」などがあったが、いずれも史実と異なる記述が多かったため、その誤りを正すべく、歴史書の製作を思い立った。天武天皇は、天皇や皇族の近習である舎人の稗田阿礼に「帝紀」や「旧辞」を誦習させたという。
天武天皇が薨去したのちは、歴史書編纂のプロジェクトは一旦頓挫したものの、元明天皇の治世である和銅4年(711年)9月に、稗田阿礼が語る内容を、太安万侶が撰録し、翌年1月に完成を見たのが『古事記』であったという。
上巻は天地開闢から天津神、国津神が活躍する神代を、中間・下巻は初代神武天皇から33代推古天皇までの事績を記したもので構成されている。
不可解なのは、この「序」の記述に従えば、そもそも天武天皇がいつ『古事記』編纂の勅語を出したのかも定かではなく、また天武天皇の死後25年が経過してから突如として、天明天皇による編纂命令が下されたことである。
また、編纂再開からわずか4カ月あまりで、太安万侶によって完成されたことも奇妙である。
さらに奇妙なのは、同じ時期、同じ天武天皇の勅令によって、『古事記』と『日本書記』という同じヤマト政権の「正史」となる歴史書の編纂が並行して行われたことである。しばしば言われているのは、中央集権化と律令国家化を推し進めるヤマト政権において、『日本書記』は中国を中心とした国外に向けてヤマト政権の歴史と権力の正統性を示したもの、『古事記』は国内に向けたものと分けて説明される。
果たして、本当に『古事記』『日本書記』はそのような意図で分けて製作されたものだったのだろうか?『古事記』『日本書記』には同じ事績を扱いながらも食い違う点が多い。そのような「正史」が2つあることは、混乱こそ招き、国家としてはその正統性を揺るがせてしまうことになりかねないだろうか?
まとめ
少し長くなってしまうので今回はここまでとします。
今回の内容を要約すると、、、
・日本の正史は『古事記』『日本書記』がある
・『古事記』の成立について書かれている「序」には偽造されている説がある
・『古事記』は記憶力抜群の稗田阿礼が語るものを太安万侶が撰録した。
・外国向けに『日本書記』国内向けに『古事記』が書かれた。
・同じ時期に『古事記』『日本書記』が編纂されたが「正史」が2つあると国が混乱し、国家の正統性を揺るがしかねない
上にあげた要点だけ抑えてもらえればOKです!
次回は『古事記』を編纂した謎の人物、稗田阿礼・太安万侶について詳しく考察します。
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